先日ぐずった子供への私の対応に対して
はたから見ていた夫が、私を非難する出来事がありました
それから、夫を口うるさい小姑のように感じてしまい
息子と私が遊んでいる時に
夫が少しでもこっちを見ると
また非難されるのではないかと思うようになり、
ビクビクしている自分に気づきました
このままでは
育児を夫に見張られているという被害妄想にとらわれて
私がおかしくなる
と思い、夫と話し合うことにしました
何が原因でこうなったのか
きっかけは私が夫に非難された出来事
息子がぐずった時に息子なりの理由があるにも関わらず、
私が丁寧に息子の気持ちと向き合わず
息子の揚げ足をとり、マウンティングする形で怒ってしまいました。
そして私が息子への対応を間違ったことを自覚し、
息子への対応を修正している途中に、夫から非難の言葉を受けました。
詳細以下記事です
理想とする育児ができない時って
必ず親側の余裕がない背景があると思う
それが我が家の今回の場合は、長期化した(1年半)息子のパパイヤ期
息子の全身全霊の拒否により、パパの育児参加ができてません。
参加ができないどころか、いるだけで息子の機嫌が悪くなるという
負の要素が追加されてます
というわけで、(前回の記事を読んでもらえると詳細までわかると思います)
この日もそんな背景がありつつ
私の余裕がなくなり悲劇が起きました
その日、夫の言葉に私は怒りと悲しみが湧きました
その正論、今言って役に立つ?
怒りが湧いてきたときこの言葉が頭の中回ってました
現状オーバーワークで大変な人に、そのタスクを減らせない立場の人が
正論をその場でぶつけて何か解決しますか?
私は「いつでも正論を振りかざしている人」が嫌い
正論は伝えるタイミングを選ばないと、不用意に人を傷つける
と思ってる。
なので、私自身は正論を伝えるタイミングは気をつけていました
が、身内である夫が私に対してそれをやってくるとは思ってなかったから
本当に傷ついた
油断していた、夫に対する甘えだったようです
まあそれほど夫が息子を愛しているということなのか、、、
でも正直もう少し私のケアもしてほしい
今夫はどうやっても息子の世話は拒否されて、何もできないんだから
大切なのは相手の側に立つということ
基本的なことだと思う
私は夫を責めて、自分の非を棚に上げたいのではなく
自覚できている私の非は私で直していけるはずだから
信頼して少し待ってほしいんです
悲しかったのは、夫に信頼されてないことを感じたからだ
夫と話し合い
整理して私の気持ちを伝えました
- 育児を完璧にできない時もある
- あの時の怒り方は悪かったと自覚している
- パパイヤで私の負担が多く、明らかに余裕がない時はその場で責めないで欲しい
- 育児に悩みながら日々修正・努力しているから、それをちゃんと見て信頼して欲しい
- 育児への意見は共有したいし私も悪いところは直したい
- けど、冷静に意見が聞けるように落ち着いてから話してくれると嬉しい
- 育児の基本的な考え方は夫婦で大きな相違はないと思っているけど、どうか確認したい
こういう話し合いって本当に面白くない
ディベート好きではないし
でもここから何十年も一緒にいるかもしれない相手だからこそ
避けて通れない話し合いと思い頑張っている
最近アサーションというコミュニケーション方法を知りました
仕事でも集団生活でもどんな場所でも取り入れ始めているそうです
自他を尊重した自己表現もしくは自己主張
と書いてありましたが
相手をできるだけ傷つけず尊重しながらも
自分の主張を伝えて話し合うコミュニケーション
ということと解釈してます
夫婦でもこのアサーションを根気強くするのがとても大切なはず
と思ってたら、夫婦・カップルのためのアサーションという本を見つけて気になっています
今度読んでみます
夫の反応、頭の中
夫は私の最初の良くない怒り方に、かなりイラっとしたようで
一人で息子のためにどうしたらいいのかと考えていて
その後私が謝っていた対応が見えていなかったと。
また私の嫌な対応をこれ以上見たくなくて、見ないようにもしていたかもしれないと。
(息子も大音量で泣いてたしね、でも私が反省して修正努力する姿を見てくれよ、、、
見ないようにしてた、とか色々ショックだわ)
自分がいない間、妻はいつもこんなひどい対応を息子にしているのか?
という不安と怒りがあったと。
(それは、、、ごめん、不安になるよね)
また、話し合いの途中で
その場で私に指摘もできないんだったら
育児に対して口出すな、と言われてるようで不快
と言ってました
(口出すな、ではなく、タイミングを見て伝えてほしいの、、、
余裕ある方が余裕ない方のケアをして、、、)
イライラしながらも育児の方針は
今のところお互い相違がないことを確認しました。
話し合い後
夫との話し合いは、まぁまぁ険悪な雰囲気で
話し合いの後はお互い2時間無言でした
(私たち夫婦はお互い怒っている時は無言になり、一人になってから考えをまとめるタイプです)
話し合いの数時間後に、夫から謝罪がありました
ごめんね、と一言だったので、何に対してかわかりません
夫が納得しているかどうかわからないけど
お互い考えていることを伝え合い、
基本的な育児方針は相違ないことは確認できている
のでもうこれでいいです(正直話し合いで疲れた)
謝罪が欲しかったわけではないし
彼の中でも彼なりに考えを整理してくれるはずでしょう
私は私のやり方で
夫は夫のやり方で
育児と家庭のあり方について考えていけばいいと思ってます
お互いのやり方がぶつかった時は、
めんどくさいけど、また話し合いです
私たちは試されている
子供がいなかったら、
うちの夫婦(二人ともめんどくさがりで、討論嫌い、一人で消化することが多い)
はここまでの話し合いをしなかっただろうな
育児を終えた夫婦の言葉で
「夫婦は戦友のようなもんよ」
というのを聞いたことがあるけど
何年もこんなやり取りしてたらそうなるわ、納得。
育児って本当に
人間の器を試されている
と感じる今日この頃でした
それでは